まだブログの仕様も定まってませんのでご容赦ください

WAC-8 KYOTO

8月末から9月頭にかけて京都で開催された、考古学の世界的な学術会議であるWAC-8に参加してまいりました。

WACは伝統的ないしは一般的な考古学研究上の成果を披露する場というよりも、考古学と社会の関係を扱った研究や、従来の考古学の常識に対する批判的研究に大きな力点を置いております。こうした分野はパブリック・アーケオロジーと呼ばれ、理論研究の盛んな欧米において特に注目がされています。

・WAC-8公式サイトはこちら

・新聞記事→毎日新聞 日経新聞 読売新聞

さてこのパブリック・アーケオロジーなのですが、日本では断片的な論考はあるものの体系的な議論はあまり進んでおらず*1、特に学部生のレベルでは学ぶ機会は多くありませんでした。様々な要因があるかと思いますが、日本では理論研究への関心がそもそも低いために、これから学ぼうという学生にとってパブリック・アーケオロジーを学び、研究し、議論する下地がなかなかないのかもしれません。低関心が低関心を再生産している構図は、アフリカ史のそれとも似通ったものにも見えます。

またパブリック・アーケオロジーの議論においては、社会学文化人類学、政治学、倫理学などなど人文社会系全般に渡る広い素養が求められる(ことがある)点も、日本人考古学者にとって苦しい点なのかもしれません。決して日本人研究者の程度が低いと言うつもりはありませんが、活躍されている先生方の多くは若い時から考古学を愛し、大学でも考古学専攻に所属して早くから現場に出るなど、専門知識を深く深く探求してきた方が多いかと思います。言うならば、(当たり前ですが)現場のプロフェッショナルです。その反面所謂リベラル・アーツ的教育を受ける機会は、少なくとも考古学で有名とされる大学のカリキュラムをざっと見たところ、必ずしも多くは無いように感じます。

 では自分はどうなのかと言いますと、手前味噌かもしれませんが、良くも悪くもこれとは真逆とも言える状況であります。

私が学部時代を過ごした大学には、考古学専攻も考古学コースもありません。人間学科という極めて緩い括りの中で、人文系諸分野(と社会学)から自由に履修することができる仕組みとなっており、その一部である歴史系科目のうち更にごく限られた授業が考古学に関わるものでした*2。それに加えて、大学が主導している学部横断型の某プログラムにも参加していた経緯から、社会学的なフィールド調査や政策研究・提言なども経験しました。そうした意味で、かなり広い分野にとっ散らかった、考古学徒と名乗るには少々特異なバックグラウンドを持っている訳です。

正直に書きますと、考古学専攻に在籍して専門を深く探求し、現場経験も豊富な同年代の人々に対しては、時にコンプレックスを感じることもありました。実際、彼(彼女)らに遅れを取っている点は少なくないでしょうし、それを忘れてはならないと思っています。その一方で、今回のWAC-8に参加して非常に多様なアプローチに触れる中で、今まで勉強してきたことも決して無駄ではなかったのかなと少し気持ちが楽にもなりました。これから進む英国の大学院は、まさに理論研究の総本山とでも言うべき場所のひとつです。実際今回のWAC-8には、これから指導教員としてお世話になる先生をはじめ複数の教授が参加され、非常に興味深い発表をされていました。そうした環境の中で、様々な分野に触れてきた経験がほんの少しでも役に立って、自身の研究にも活かせればと思います。

 

兎にも角にも非常に実りの多い京都滞在となり、決して安くない参加費を払った甲斐があったとつくづく思っています。スケジュールの都合で9/2(最終日)に参加できなかったのは残念ですが、今後もこうした機会には積極的に参加して、自身の研究テーマの外に広く広く視野をもって行くことを忘れないようにしていきたいですね。

 

さて、非常に呑気な日記調の記事を更新しましたが、実は出発の日が近づきつつあり、多少バタバタした日々を過ごしております。今までに留学された方のブログの情報に改めて感謝をしつつ、やはり自分も書くべき記事はきちんと残していかなければと感じております。近日中には出願や奨学金関連、ビザなどについての記事も書いていければと思います。ひとまず今日はウォーミングアップという事でご了承ください。

*1:以下の書籍が入手しやすく分かりやすいと思われます。私も今読んでいるところです笑

 

入門パブリック・アーケオロジー

入門パブリック・アーケオロジー

 

 

*2:幸いゼミの先生が考古学(と東洋史・美術史)で有名な先生であり、その他学外でも考古学を学ぶ機会を得られたので、一定の専門知識を得ることはできました。この辺の話はまた機会があれば稿を改めて書きます。